東京都23区内では、焼却した後の焼却灰は、放射能の値8000ベクレル/㎏以下でも埋め立てられますが、多摩地域では、焼却灰はエコセメント工場に運ばれ、再生利用のために「製品」となります。どこで何に使われるか追跡できないにもかかわらず、エコセメント工場のある日の出町が合意に至ったとして受け入れが始まってしまいました。
去る5月11日に稲城市で開かれた多摩川衛生組合の構成市4市の市民に対しての説明会では、4市の市長も出席したものの、ほとんどDVDや、都の職員、衛生組合職員による説明に終始し、市民の質問も、途中で打ち切られてしまったことは、先にご報告しました。
説明会では聞けなかった府中市長の思いを聞こうと、6月議会で一般質問したのですが、市長は「安全性を確認できた。復興支援のため」と述べるにとどまりました。都の計画を多摩地域の市長会が「総意」で決めたといいますが、住民や議会の同意を経てはいません。また、搬入や焼却の現場の監視も衛生組合任せで、責任は衛生組合だといい、自治体として、安全管理の責任の一端を負う姿勢もないようです。
実際に6月27日、女川町の「災害廃棄物選別施設」を見学してきました。港近くの、津波被害の前は日本水産㈱の建物があった敷地に建てられています。一時仮置き場は山あいにありますから、かなり離れています。町、県、都、環境省の現地職員が説明しました。「早くがれきを片付け、ここを元の工場にしたい、全国で受け入れてほしい」と。
しかし、なぜこんな町の真ん中に施設を建てたのか(普通、廃棄物処理施設はこんなところに置かない)。なぜいきなり高い運搬費を掛け、従来の一般廃棄物処理圏域を越えて遠くに運ぶのか(それは地元の輸送会社ではない)。放射能を1メートルも離れて空間線量(シーベルト)で測って総量が分かるのか。などなど、疑問が却って膨らみました。事業も、都や国が主導していることが伺えました。
女川町に到着するまで、岩手県の大槌町から沿岸部を車で移動しましたが、壊滅的なさまには言葉もありません。再生・復興に向けた自治体の取り組みにも、それぞれの事情で差があるようです。女川町はそんななかでは、いち早く、都をはじめゼネコンなども入っているようで、逆に、なぜここがこんなに……とも思わされました。
しかし「災害廃棄物」として焼却するのはいやだ、という声を、大槌町を案内してくれた女性から聞きました。「思い出の品」なのです。大槌町は、それらを防潮林の土台にして、風化させない「鎮魂の森」にするプロジェクトを始めていました。
「復興」は地元の人たちの想いとつながったものであってほしいと、強く思いました。