大阪府箕面市の「豊能障害者労働センター」「ちまちま工房」訪問記

30年にわたる「ひとりひとりのありのままが尊重される社会」を目指し、ともに働く場つくりの実践とそれを支える行政の制度を学ぶ。

 去る3月30日、稲城市議の中村みほこさんと、大阪府箕面市に視察に行きました。障害者が地域で働く実践として著名な「豊能障害者労働センター」などを訪ねて、箕面市独自の「障害者事業所助成金」制度について知りたかったからです。

「豊能障害者労働センター」ではまず、車いすで脳性まひの当事者であり、センターの代表でもある小泉祥一さんたちが出迎えてくれました。
副代表の新居さんの説明では、センターは81年の「国際障害者年」をきっかけに「障害者の平等、完全参加」が唱えられた当時、小泉さんの「養護学校を出ても行くところがない」という訴えから、市民・労働運動にかかわった人たちの支援を受け、2 人の重度脳性まひの障害者と4人の健常者を中心に、82年に設立したのだそうです。
ここはいわゆる障害者の「福祉的就労」の場としての「作業所」というあり方を選択していません。健常者には指導員として給料がついても、障害者は「利用者」として月数千円の工賃を得るだけという作業所の制度は、センター設立の理念と相いれないからだそうです。障害者も健常者も対等に共同、対話を意識し、水平的な関係づくりを目指しています。

豊能障害者労働センターで。中村さんが手にしているのが、小泉さんの書から創ったTシャツ。

 見せていただいた豊能障害者労働センターの紹介パンフレットには「ひとりの市民としてあたりまえに生きたい。 ― 保護・訓練されるだけの対象でなく、あたりまえの市民として生活したい。そのために地域の中で、わたしたち自身が経営を担い、給料をつくりだす活動をしています。障がいのある人もない人もともに働いて、入ってきたお金をそれぞれのひとの生活を考えて分け合っています」と、小泉さんたちの気持ちが書いてあります。「それぞれのひとの生活を考える」「分け合う」という言葉が光っています。

 今は障害者37名、健常者34名で、カレンダーの生産・販売、オリジナル製品(衣類・雑貨)、リサイクル事業やバザー事業などをおこない1億5000万ほどの事業高!だそうです。月刊で1万部にも及ぶ機関紙の企画と発送作業の責任者は障害のあるA青年で、とてもいきいきと作業手順を説明してくれました。注文の返礼の手紙を丁寧に書いている人たちもいました。所長になって5年目の小泉さんはとてもダイナミックな力強い書を描きます。それをTシャツにして販売しています。阪神大震災の時にバザーを開始し、被災した障害者の支援も行ないました。いまの「ゆめ風基金」につながっています。

◆箕面市の「障害者事業所助成金制度」と「社会的事業所」

 この「ひとりの市民として当たり前に生きる」を保障しているのが94年に出来た「障害者事業所助成金制度」です。センター設立当初から行政との話し合いを重ねてきた結果です。一般的な作業所の補助金は障害者の工賃に充てることはできませんが、この助成金は障害者の給料に充てることができるという、箕面市独自の制度です。障害者の社会的自立のため積極的に重度障害者を雇用して事業を展開することも盛り込まれています。重度障害者を排除している一般就労の能力主義的な働き方を転換させる制度として注目されます。

同じく箕面市の桜井市場にある【カケラをあつめて カタチをつくる「障害者とともに」を考える企画グループ ちまちま工房】の店頭で、代表の永田さんと。障害のある人たちのすてきな手作り品を販売したり、DTPやワークショップなどを企画している。最近はお豆腐作りと販売にも取り組んでいるという意欲的な女性たちが集まっていました。

 

 自立を目指す障害者と健常者がともに働き、事業内容や実績を行政にも認めさせるという実践と歴史は、私は2010年の名古屋の「わっぱの会」の視察でも学んだのでした。しかしその後、さらに悪化する労働環境、貧困と格差の広がりから、障害者だけでなく様々な排除される人々の存在がより顕在化してきました。震災も起こりました。「誰もが差別されずともに生きるために」働き方こそ変わらなくてはと、箕面市や名古屋市などで障害者差別と闘ってきた人たちが中心となって「社会的事業所」制度の法制化を求める運動が盛んになりましたが、箕面市の制度にひとつの原型があるのです。

  自民党政権に変わったことで運動はかなり厳しいですが、この「障害者事業所助成金制度」が、どんなに当事者の自立と自信につながっているかを改めて実感した視察となりました。