「共に学ぶ、共に育つ」環境の中で育まれるもの

4月初めに伺った話です。「『障害』があっても地域の学校に通わせたいというお母さんの希望で普通学級に入学した男の子がいて、うちの子と同級生でした。初めて隣の席に座ったのがその男の子で、二人はとても仲良くなりました。クラスの子どもたちは、その男の子に、大人だったらその子の事情を考えたりして、とても直接言えないような、辛らつで厳しい要求をして、びっくりするようなこともありましたが、そうやって、子供どうしがお互いの関係を作りあげて、理解しあっていくものだと思いました。とても思いやりのあるクラスになったのは、その子がいたことも大きいと思います。その子は本人の希望で転校してしまいましたが、そうなったらなんだかクラスの中のケンカも増えてしまった気がします。」と話してくれたお母さんがいました。

どの子も地域の学校で学ぶというのは「あたりまえ」だと思いがちですが、「障害」がある子どもの場合には、親が地域の学校に通わせたいと、教育委員会や学校に対して「頑張る」ことから始めなければならないのです。そんなに大変な思いをして、しかも学校やまわりからいろいろ言われたりするのではないかという不安を跳ねのけてまで、普通学級にこだわる意味はどこにあるのかという自問自答を、私も繰り返してきました。そして、「障害」のある子は、地域の学校では伸びない、養護学校の方がよい、地域の学校がひどいのでかえってかわいそう、という声をこのところ聞かされることも多かったのです。

教育基本法も変わりました。学校が、学力によってますます分けられてしまう方向に向かっていることを痛感させられている昨今、頭書のような話を聞けて、「共に学ぶ、共に育つ」こんな環境に恵まれた子どもたちの「学び」は、勉強とはまたちがった思い出に残るものだったことだろうと、感慨深いものがありました。