いつも「検討」ばかりでは…

審議会を傍聴して

7月20日の「福祉のまちづくり審議会」に、一傍聴人として出席しました。そこでの有識者といわれる人や、民生委員、市民の中から選ばれた審議委員の方たちと、市の福祉関係の部の職員の間のやり取りで、やはり…と思わされることがありました。
中越沖地震の直後でしたので、視覚障害のある審議委員が、「市は、どこにどんな障害のある方や高齢者が住んでいるか、把握しているのですか? いざというときに救出できる態勢になっているのか不安です」といった趣旨で、市の姿勢を問うていました。答えは、
「関係各部署で検討していきます…」
これには、「あんな地震が、ここでもいつ起こるかわからないのに、いつも検討、検討という返事ばっかりで…」と返しておられましたが、聞いている私も「お役所仕事」に、情けなくなりました。
この間、協議会、議会、委員会とひと通り経験しましたが、伝えようとしている意図は職員も解っているはずでも、検討します、決まったことです、というやり取りの多さに、変えることが難しい行政の「先例主義」の壁を感じています。
この審議会のやり取りでも、行政は質問の趣旨や必要性はわかっているはず、と思います。ある程度の把握ができていないはずもない、と思いたい。
けれども公式な場では、こんな答え方になる。把握しています、と言ったら、何か問題が起きるということなのか、議事録に残るのがちょっと不都合ということなのか。
結局、これでは市民にとっては不安と、不信、が残る議事録にしかならない。これは市にとっても、心ある職員にとっても良いこととは思えないのですが。
議員という立場も、市民から見たら、市の仕事と同じように見られてしまうことにもなるのだと思い至りました。「残す言葉」の意味を考えさせられた、傍聴体験でした(ちなみに傍聴人には前回の議事録や当日の資料は、その場で見ることはできても、配付はされず、置いたまま退席しなければなりませんでした。なぜ?)。