そもそも「総合計画」策定は、高度成長期、国が自治体にインフラ、基盤整備のために義務付けしたといういきさつがあります。しかし、いまは、住民と議会が本当に自分たちの【総合計画】を作ろうという動きもありますし、財政計画もきちんと示して「夢物語を書かず、書いたことは実行する、書かなかったことはやらない」を原則にしている自治体もあります。
いっぽう府中市の場合、たとえば、府中駅南口再開発事業で、市が保留床を70億円で買取り、そこに「公共施設」を作る計画が出されていますが、これを「総合計画にある【にぎわい魅力のあるまちづくり】である」と説明しているように、都合よく使われてはいないでしょうか。総合計画が「バラ色」の標語の羅列で「何でも作る」ことの言いわけになっては意味がありません。いくらを使ってどんな公共施設をいくつ作る、という具体的な計画になっていないのが問題です。また、高度成長期とは違い、これからは低成長の中で、インフラより社会保障の充実が求められています。財政計画が示されない計画であるのも問題で、社会状況がころころ変わる中、12年先のことまで見通すことを前提に策定するのも非現実的です。
しかし答弁のように、つくり方も変えない、検討協議会の運営もコンサルタントに任せるということでは、住民が作った住民のための計画であると実感できるものにならないと思いました。総合計画をつくるときの「協働」の意味について、議会も行政も考えることが必要ではないでしょうか。