原発事故で「夢」となった福島県双葉町の町おこし

「世界」1月号の記事を読み返して

福島原発事故以前に発売された「世界」2011年1月号は「原子力復興という危険な夢」と題した特集でした。特集の前文で編集部は『…日本では、世界的に脱原発・再生エネルギー開発が進むなかで、それに背を向け、毎年原子力に莫大な開発費用を投入してきた。民主党政権になってからもその方針は変わらず、それどころか「成長戦略」の一環として、新興国への原発輸出に政権挙げて取り組む姿勢さえ示している。 しかし、原発の最大のネックであった「巨大事故」の危険性も、「核兵器」転用の危険性も、核燃料廃棄物の処理問題も、何ひとつ解決していないのである。…』と述べています。なんと暗示的な企画だったのでしょう。

記事のひとつに「原発頼みは一炊の夢か〜福島県双葉町が陥った財政難〜」という地方自治ジャーナリスト葉上太郎さんのルポがあります。
それによると、双葉町には福島第1原発の5,6号機があるのですが、着工開始の74年から国の電源交付金によって財政力が一変し、それらの財源で「ポスト原発」を見据えた図書館建設や学校司書の配置で「人材育成」も図ったけれども、一時的な期限付きの電源交付金は次第に落ち込み、90年には再び財政難に陥ったこと。町議会は91年に7,8号機の増設を求めた誘致決議を採択して打開を図るが、東電は電力需要の伸び悩みで建設を先送りしてきたことなどの経緯が詳しく説明されています。そしていま財政健全化のために農業者や商業、観光業者などでの産業おこしもはかっていた様子が描かれ、筆者が、原発頼みの町おこしの転換が図れるかどうかは国の政策次第だという意見を述べています。

いま、ここに書かれた町職員、農産品の直売店や「女性加工グループ」のおばちゃんはどうなっているのか。「夢」のように、事態の悪化が進むばかりです。

60年代の国のエネルギー政策の転換の過程で、たくさんの地方の炭鉱労働者が、犠牲になりました。原発推進が、地方の人々を犠牲にしてきたことが明らかな今、そのことを思い起こしています。国のエネルギー政策は、そのまま都市に住む私たちが歴史的にも背負ってきた課題なのでした。双葉町の悲劇を全国の原発立地自治体に繰り返させてはいけないと、記事を読み返して思います。