4月6日〜7日、原発事故から3年を経た福島県南相馬市を視察しました
福島県南相馬市に行ってきました。里山と農家があり、田んぼや畑が広がり海も臨める、まさに「ふるさと」の光景の地だったのだなと思いました。
しかし津波で堤防や田畑は流され、地震で家が壊れても原発事故のために避難したままの家も多く、爪痕の深さを感じました。市の中でも原発に近い区域にあり、避難生活を送る小高区の酪農家Wさん(83歳)のお話を聞きました。
Wさんは、家族で過ごした大きな家は地震でも無事でしたが、避難を強いられ、いまも狭い借り上げのアパート住まいです。急な避難で牛を餓死させたことが無念で、いまやっと語れるようになったと涙ぐみました。今でも毎日、昼間だけ自宅と牧場に帰って過ごしていますが、息子や孫たちとは離れ離れになり、地域で支えあって酪農を営んできたつながりも戻せないだろうと話してくれ、牛がいなくなった牛舎に案内してくれました。
柱の一部が細くなっているのは、牛が餓死する前にかじった跡です。
少しでも生活の営みを取り戻そうと活動を始めた人にも会いました。原町区の「えこえね南相馬研究機構」の高橋さんたちです。
耕作地の上3mほどの高さにたくさん太陽光パネルを設置し農業と再生エネルギーを共存させる「ソーラーシェアリング」を実践していました。「半農半電」だそうです。事業の課題はまだありますが、前向きに研究を続けていました。
浪江町との境の牧場の様子です。これから先はがれき撤去の工事車両が入るため、私たちの車の通行は許可されませんでしたが、この付近は放射線量も高かったです。
原発事故から3年が過ぎましたが、南相馬市は原発からの距離が20キロ圏内、20キロ〜30キロ、30キロから外の区域と3つに分かれており、それぞれに保障や行政の対応も異なることが地域の分断につながっているとも聞きました。
原発事故が人々の暮らしを破壊してしまったことの大きさの一端が身に浸みたと同時に、私たちができる支援は何かを考えさせる視察となりました。