バリアーがそのままなのに、自立と言われてそれができないでいると、自分の能力が足りないせいみたいに思えてしまいます。変わるべきは、むしろ社会条件です。段差や勾配をなくしたり、手助けをしてくれる人を増やしたり、足りないところを補うことが必要です。
「だれだって、本当に自立している人なんかいない。大根一本、魚一匹、自分ひとりだけで作ったり取ったりできる人なんか今いないのだから。大事なのはSOSを言えるかどうか、それに応える人がいるかどうか」だと、「第4回心の健康フェスティバル」(府中市と府中精神保健福祉協議会主催)で、ご自身もうつを体験されたという精神科医の蟻塚亮二先生も話していました。「障害」のありようは違っていても、その人らしく生きるために社会的に必要なことは変わらないと、知的障害者である息子のことと合わせて思いました。
障害のある人の自立生活は、介助なしにはありえません。自立生活を支える、人や資金の援助の保証(その人らしく生きるために足りないところを、社会が支えるということへの社会の同意)が、自立を促す前提として必要なのではないでしょうか。
3月9日に、市議会予算特別委員会を傍聴しました。ある議員の「格差社会というが、お金のある人はある人なりに、ない人はない人なりの生活をしていればよいのだ」という発言には、まったく”目の醒める″思いでした。これって分相応に生きてろということ?分際をわきまえろということ?こんな人に、生活の質の保証を求める声が聞き取れるとは思えませんが、これも現実なのだと、暗然としました。変えたいですね、この現実を。