先日知り合いから相談を受け、中学校の校長などと話をしてきました。子どもが「教師に暴言を吐き、教室から出て行くなどした」ので保護者を呼び、「家庭で反省して、態度を改めると約束できたら登校してもよいと話して家に帰した」というのが、その子についての学校の説明でしたが、本人はそれ以降学校に行っておらず、今後の対応について話し合いを持ったのです。
学校は一貫して「学校は勉強するところ。勉強する気がないなら登校できない、子どものことは保護者の責任」と、秩序を乱す責任は本人と保護者にあると主張します。手が足りない現場の事情にも理解を求められます。しかし「学校に行けなくなったことを、本人と保護者だけのせいということでは解決できない。態度が悪いなら学校から一律『排除』ではなく、受け入れる方向で解決してほしい」と訴えても、「家できちんと反省しなければ、受け入れられない。同じことを繰り返すなら、同じ対応」と、譲りませんでした。
教育基本法が「改悪」され、自己決定と自己責任が教育の場でも強調され、「必要な規律を重んずる」(6条)、「保護者はこの教育の第一義的責任を有する」(10条)と厳罰主義的になり、学校が子どもを登校させないこともできるなど、ある意味「被害者」である子どもたちに責任を取らせる方向に変わったことの危険性を、藤田英典さん(国際基督教大学教授・教育社会学)の学習会で知った直後でした。学校の対応は、まさにその適用事例だと驚いています。公立の学校で受け入れられなければ、どこへ行けばいいのでしょう?!
教育基本法「改悪」で、「愛国心」問題については議論がありましたが、「厳罰対応」「保護者の責任」の強調は、子どもの将来に関わることです。教育現場にいる人たちの考えを聞きたいものです。