7月17日、都ネットの環境チームの視察で、北九州市に行ってきた。ここは明治以来、鉄鋼産業などで日本の経済成長を支えてきたが、戦後、一帯に産業公害をもたらしたところ。いま広大な工業地帯の一部が「エコタウン事業」としての承認を日本で最初に受けるなど、一帯を市が、環境産業を軸とした「資源循環型経済社会」の実現を目指して産業構造の転換・再構築を図り、昨年「環境首都コンテスト第一位」を得ている。
ここのエコタウン事業は研究19施設、事業所25施設と、日本一の規模で、広大な敷地を活用し、「学」とも連携した「実証研究エリア」もあり、廃棄物の「資源化」政策に乗った先端産業の集積地を目指しているかのようだった。
同じ九州の熊本県水俣市に、4月、府中ネットで視察に行ってきたが、ここでは「水俣病」を乗り越えて「環境と福祉の先進都市」を実現してきた歴史と理念を体感できた。北九州市の前に2年連続で「環境首都コンテスト第一位」を得ているが、申請当時、通産省から「水俣市のエコタウンの提案は北九州や大牟田などに比べてモデル性がない」と一度認定を却下されていた。それに対して、「全国のほとんどの都市は小都市ではないか」「水俣型の小規模エコタウンである」と通産省を説得し、認定に至った経緯があった。当時の通産省が、どんな事業を目指していたかがわかる。
現在、水俣のエコタウンには、市の焼却処理施設や、市が分別回収したガラスビンを洗って生産者に戻す、リユース事業などがある。ビンを洗ってリサイクルするようなローテクで、生産者責任を求めるような事業は、他のエコタウン事業にはないし、国基準より厳しい条件をつけた環境保全協定を締結し、工場の市民への公開を求めているなど、環境と生命を犠牲にさせられてきた水俣の取り組みは、エコタウン事業の中でも特筆すべきものであった。
期せずして、「エコタウン事業」2地点を実地踏査することができたが、事業にリユース・リデュースの視点があるか、規模や内容が市民の手に届く技術か、など対照的なものがあった。真の「資源循環型社会」は、決して技術的な問題だけでなく、理念も大きい要素であることを、実感させられた。