雲龍寺に「足尾鉱毒事件」と田中正造の足跡を訪ねて
エコメッセ企画の「足尾ツアー」に参加
11月3日、リボーン社というエコな旅行会社とタイアップした、エコメッセ企画の足尾ツアーに参加しました。食用廃油で走る「てんぷらバス」を利用したこの企画に参加したのは、1昨年以来2度目です。最初は、山奥の古河鉱山跡地周辺の、見渡す限り煙害ではげ山になった山腹への、「どんぐりの苗植樹ツアー」でした。
今年は、下流の渡良瀬川流域の、4県にまたがる鉱毒被害地域に点在する田中正造の足跡(といっても、本当に広い地域の一部です)を訪ねました。案内は、田中正造大学学長の坂原辰男さんでした。
写真は、雲龍寺境内です。渡良瀬川河畔に建つここは、田中正造が半生をかけることになる闘いの始まりの地です。1896年以降、足尾銅山鉱業停止請願事務所として、栃木・群馬・埼玉・茨城の4県鉱毒被害民の闘争本部となり、「日本の公害の原点」といわれる足尾銅山鉱毒事件の拠点のひとつです。
上流の草木ダムも訪ねました。ここは水源確保という名目で造られた私たちの水道水源のひとつですが、実は「鉱毒」土砂をせき止めるためでもありました。知らなかった…巨費を投じて、目的は隠す。美しい水面をたたえていましたが、底はかなり土砂で埋まり、所期の目的は果たせなくなっているそうです。
今年は福島の原発事故とも重なり、過去の「鉱毒事件」では済まされない教訓を学びました。古河鉱山の銅は国策として増産されたものの、労働者や住民の健康被害、環境汚染は顧みず、洪水のたびごとに重金属汚染をもたらした地域の広大さを実感しました。1970年代まで、洪水による被害が続いていました。
国策推進の犠牲となって、住民は土地を追われ、除染は気の遠くなるような長い期間がかかり、その補償もままならない…「福島と足尾事件は共通です」と坂原さんが強調していました。
2013年は田中正造没後100年の年だそうです。大企業と国の利権優先は、明治以降変わっていないことを学ばざるを得ず、歯がゆい限りのツアー参加記です。